crazy-tamako’s blog

私のオウムになってください

私の生活を分析するための、備忘録。
収支状況の分析。メモ。たまに趣味と夢の話。

サラバ!(西加奈子)

こんな敬虔な内容だとは思わなかった。

一気に、上中下まで読んでしまった。

 

以下、ネタバレ。

 

一気に読破するときは大抵、

物語を完全に追い切るまでの読書の時間があること

そのストーリーやキャラクター達に完全に魅了されていること、

その先の展開が気になること

そんな条件達が揃っているとき。

 

サラバに関しては、

正直魅力的な人物だなと思うことはあれど、

その人物達の動向やその先の展開に興味が湧かなかった。

本当にただ家族がおかしいだけのその中で屈託してしまった男の子が

ただひたすらに生きていくまでの過程を見つめる話なんだけどそれだけなんだよね。

ほんとドラマチックな展開とかどんでん返しとか、

クレイジーサイコなキャラクターとか全然いないの。直接的な命の危機とかも。

話の展開も読めるの、起承転結の起がこれなら、結もこれだろうとね。

 

正直もっとSF超大作やファンタジー小説、ミステリーなどなど

心をワクワクさせるようなそれこそ小説の真髄と思わせる作品はこの世に溢れているし、

ただ小説が好き、物語に没入したいと思う人はそういうもの読めばいいと思う。

 

でも、なんでこんな、追い立てられるように一生懸命読んでしまったのかなと振り返ると、

多分私は歩(※主人公の名前)を通して「救われたかった」んだと思う。

 

ヤコブの教会のシーンはあまりの美しさに泣いた。

あの暗黒の時代を守ってくれた「サラバ」という言葉、

ナイル川の岸辺で抗えない事象にただひたすらに泣くだけしかできなかった彼らを支えた言葉、

私はその言葉が文章中に出てくることを待ち侘びていたし、彼らがその言葉を口にするたびに、

私も何かに守られて救われているそんな気がした。

 

私は壊滅的に自身に対する自信がない。

歩のような過去の栄光はないけど、

いずれ貴子から「歩きなさい」と言われるそんな日が来ると思っている。

 

 少なくとも私の環境は、歩より家族に振り回されてはいないと思う、多分。

 というか側から見てそういうふうに見えたとしても、

 歩やいつかの貴子のように「自分は悪くない」と思うような境地にまだきていない。

 でもいずれそう思ってしまうのかもしれない。

 あ、嘘ついたな。

 私は悪くない、と思うようにはなってる。

 コロナになったり、クライアントとうまくいかなかったり、

 仕事が全体的に停滞気味になったり、何かよくない事象が起きたとき。

 まあ、だから自分が不幸だなと思うことに関して。

 

不幸だな、と思うことについて、私は悪くない、て自分を守って、折り合いをつけてきたけど。

だってそうでもしないと本当に折れてしまいそうだから。揺れてる、ってことね。

揺れてるって超かっこ悪いよね。辛いよね。自分を救って欲しいと思うよね。

 

自分を救えるのは自分しかいない、とずっと思っていたけど、私はそれをずっと悪い方に捉えてたと思う。

誰も私を救うことなんかしない、できない。自分にしか辛さや苦しみがわからない。

っていうところから来てた。自分を救おうなんて鼻から思ってないんだよね。

(余白がない状態なのかなこれが)

 

でも、自分を救えるのは自分しかいないっていうのは、自分のことは自分しかわからんからだよ。

だから、自分と向き合うために他人や事象とも向き合う必要があって、

時に自分を救ってもらうために他人を信じてお願いをしたり縋ったりする必要があるんだよね。

(母の「すくいぬし」はこれなんだろうな)

 

どうしようもない事象に対して、「自分は悪くない」で誰かを傷つけたり、勝手に傷ついたり、じゃなくて、

受け止めて、ただひたすらに泣いて、前を向く強さを、自分を「信じ」ないといけない。

「サラバ」は自分を守る言葉だ。それだけは事実だ。

「サラバ」をいう自分たちを信じている。

 

西加奈子はすごい。

こんなどす黒い感情達と、こんな純粋な感情達、をすごく丁寧に、読者にも響かせるように描いてくる。

こんなんしっかりと向き合わないと書けん。すごいよ。自分と向き合うことって本当にしんどいよ。

その向き合った覚悟と、向き合い通した強さに、感動した。

 

この小説が評価されるのも、そういうことなのではないかと思う。

みんなこの話を読み進めたのって、単純に「僕」「姉」等がどうなるか、だけではなくて、

「僕」を通して自分の人生や考え方を投影してたんじゃないかなと思う。

過去に対する恥、懐かしい記憶、大事にしたい記憶、今の自分。

それらと否応無しに向き合わせてきたよ、だから、歩が歩くことを望んだ。私も歩けると思ったから。

 

だから、歩の人生を最後まで見守りたかった。歩を通して、私も救われたかった。

で、読破した今、どうするのかはまた別の話。(唯一、読書の嫌いなところです)

小説というよりかは、ある意味エッセイみたいな捉え方してるけど。

 

貴子は救われたかったんだよな、だから追い求めてたんだよな、

どんなにそれが滑稽でも彼女は生きることも信じることもやめなかったよな、すごいよ。