唐突にすみません。
兄夫婦に子供ができたので、バランスを考えて私も命を迎え入れたいなぁと思い、犬を迎えることにしました。
この一行エゴ凝縮200%ですね。
ずっと犬いいなぁと思ってたんですけど、結局エゴだし、ただ無駄に人生を消化試合真っ最中の私のような人間に迎え入れられる犬のことを思うと、かわいそうだよなぁというのがあり、その選択肢を持つたびにやめなされ、ともう1人の自分が諭していました。
孤独死やゴミ屋敷に住む人たちの中には、やはりうさぎや犬猫を飼っていた方もいて、なんというか、死やカオスへのベクトルは責任感や愛をも凌駕することがあるんだと感じていました。まあそれっぽっちの人間だということなんですが。
私もそのベクトルが潜在的にある人間だと評価しているので、そんな人間に振り回される動物たちのことを思うと、そんな選択肢を持ってはならぬと思っていました。
でも、赤ちゃんの誕生を願うたびに、バランス、バランス、とどこかの思念体からの声が聞こえるので、ついに友人に
「犬飼いたいんだけど、これって人間のエゴだよね?」
と聞くと、
「エゴだよ。でもいいんじゃない?犬はもうすでに生まれてるんだから」
と返ってきたので、本格的に犬を探し始めました。
ところで、私はスリラー映画「プラットフォーム」が大好きです。
手づかみで飯を食う、食う、たまに血みどろブシャー、糞尿もでる、飯を食う、血みどろブシャーみたいな映画です。でもその軸は、何かしらの敬虔な宗教のようなものです。
何百層をも貫く、収容された人々の好物を運ぶプラットフォームのように、この社会を貫く脆くて争いを生む一本の重要な柱のような、人々が共通して持つ概念を描いていると私は思います。
ここにラムセス2世という犬が出てきます。
彼は、結構早く、割と犬好きは暴動を起こすくらいの残虐な形で死にます。
ですが、それがきっかけで、主人公は地獄のような1ヶ月を乗り越え、革命へと乗り出します。
(ラムセス2世の飼い主は、この社会システムに平等と平和を構築したいといい、腐り切った主人公に発破をかける存在の人間でした)
ということで、私は犬を飼うなら、これくらいを求めるわ、ということで、ラムセス2世と同じ犬種の男の子を迎え入れて、ラムセス2世という名前をつけました。笑
革命までは求めませんが、でも、何か人生という冒険に付き合ってくれる相棒として、私の道を導いてくれるといいなと思っています。
ラムセスくんと呼んで、みんな可愛がってくれています。
映画やファラオのように平和の象徴になることを願っていましたが、確実に私の家族に平和をもたらしてくれたし、私の心も平和にしてくれています。
犬はいいですね。
人間と違って、万事絶対評価なのでブレない。
よく食べてよく寝てよく遊んで。
そして、性欲は人間によって削ぎ落とされ。
犬だけは、人間を裏切らないし、犬を心の支えにすることは誰も不幸にならない。
でも人間と同じ歩みはできない。それだけがデメリットでふ。
この薄暗い私の価値観を犬が変えてくれるかと思ってましたが、なーーーんも変わらん!!!
あと犬を迎え入れて気づいたことが多々あったので、それは今後の記載に踏み込んでいこうと思います。