2023/一冊目
読みました。
友人と話してて、無敵の人の存在についての話になったとき、この本をお薦めされました。
「社会との繋がりがない人は無敵。なんでもできる」
繋がりって大事だよね、って話を。していたんですけど。まさに、そんな話でしたね。
わたし、たいきのおとうさんの気持ちもとてもわかるし、夏月さんの気持ちもとてもわかるんだ。
社会とのつながりを楽に受容できるシステムは、マジョリティに流れることだというのは私も理解。それは、自分が誰も傷つけることのないように矯正するのがこの社会のシステムだから。大多数の人間に違和感を与えずに、気持ちよく生きていけるようにするには、学校に通い、オーソドックスな人生を過ごしていくのが1番楽なんよ。大きい流れから逸れた人間を珍しがって。横目で見ながら、生きていく人間たちに紛れるのが。本当に、誰も傷つきたくない傷つけられないように生きていくためには、その人間たちと同じ流れに乗るしかない。
そう、私もほっといてほしい。と思うことが多々あって。好きな服を着て、好きなように生きていこうとしている、誰にも干渉されずに己だけを見つめて生きていきたいだけなのに。
哲学を語り合いたい、という気持ちがわかるんです。私も畦道や八重子や夏月ほどではないんですけど、思想や感情がこの身にガッツリ入ってる人間だと思うんです。
性欲という点では、八重子と同様かと思う。
ホモサピエンスのメジャー性癖で人類発展に貢献できる真っ当な人間。
でも、この地球に対する諦念感情が強すぎて、「なんでこんな世界に赤ちゃんうめんの?セックスできんの?」と思うのですわね。セックスてすごく虚しい行為に思うのだよ。部屋の隅に私がいるの。へんなの。
結局、女性器に興奮をしていて、そこに紐ずく人間なんて、ほんとに見えてないんじゃないかって。異性という視点では男性みんなそういう風に見ている。わたしは。
だから、わたしは男性器と人間を切り離して考えたい。子供を産むだけなら、精液入った男性器だけほしい。
男性器と繋がった人間が嫌いやし、子宮を持った人間として子宮の存在感のデカさに辟易しているのでいらねえ気持ちもあるのに、無くなったら無くなったでありえない空虚感に取り憑かれると思うので、面倒でそんな自分も嫌。
明日死にたくない、そうですわよね、明日死にたくないの、延長がずっとずっと続いてみんな子供産むのだわ。
修の件と同様に、流れに流れて、これこそ脳死のまま、穏やかに死を迎えられるっていうね。
私も、そう言う気持ちがあって、民間企業に就職した。
わたしはずっと「ちゃんとした人間になること」が夢だった。
働いて、結婚して、子供産んで、育児して、家とか買っちゃって。それが社会の一員として、この社会システムの歯車の一つになれる最善の方法やし、そうなりたかった。
なりたかったというのは、なれない自信があったからだな。脳死なんて絶対無理、絶対に全部嫌になって、辞めた!とか言って、引きこもったり、結局何にもならない人間になる可能性が大いにあったから、半強制的にその環境に身を置いたんだけど、でも結局無理になってしまって辞めた。
キャリアウーマンの私も、育児をする私も、誰かの妻になる私も、6年働いて全くイメージできなかったし、なりたいとも思えなかった。し、普通を強要してくる社会もしんどかったし、そこに紛れる努力をしたとして得られるもんてなんもないやんな。と思ってしまったんだな。わたしが思う社会システムの歯車の一つって、なんやこれおもんな!、生きてるのに死んでるみたい!、脳死は私のポリシーに反する!というサイレンが鳴り響きまして。
でもさ、でもね、そんな社会を生きていて、他人の穏やかな人生を脅かす存在というのは、その大きな流れに乗れなかった、合流できなかった人たちなんだなとわたしも思うんです。
実際に脅かされて、心と体を少し病んでしまったけど、それは、その人というよりかは、社会がいけないと思っている。この大きな流れが生み出されてしまった故に、その流れに乗れなかった、弾き出されてしまった可哀想な人たち。
繋がりたい故に、見つけてほしいが故に、この苦しみや悩みを理解して、その流れに風穴を開ける人たち。繋がりのない人間が無敵の人というのはすごくわかるんです。
繋がりは楔。人は本能で、1人では生きていけないことをわかっているから。
わたしも未婚、独身、のアラサーじゃけ、親が死んだら、どうなるんだろうって思うんよ。
親が死んだら、この地球に対して打たれている楔がなくなったら、わたしはもう、大目的の欠落した私は、この地球にいる意味がわからなくなってしまう。
だから、大きな流れというものをなくして、いっそのこと海にしてしまうとか、でもたぶん、これまでの人類の歴史上、無理なんですよね。
子孫繁栄という大目的を本能的に携えた生き物が、排他的な思想を一切持たないなんてそんなこと無理なんですよね。だから、生殖器を排除するしかないわけですわ。
多様性を受け入れる側なのウケるよね。なんでジャッジすんねん、てわたしもすごく思うんよ。理解しようとする?無理だろ、私の思想を理解してどうする?大也の気持ちもめっちゃわかる。。。
でも、夏月と畦道の関係も、わかるし、羨ましい。
根底で、宗教を分かち合う、唯一無二の存在。
いなくならないから、というのは、明日を生きていきたいというお互いの希望の楔であり続けるという、愛とはまた違う、なんていうんだろうね、この関係は。私の中でカテゴライズしている、新人類という枠組みのなかにいる人々。
とりとめのないことをダラダラと書いてしまったけど、この本にいる全ての人は、何かしらが不安で、明日も生きていきたい、ただそれだけのことなのに、大きな流れが、性欲というものがあるがゆえに、生きていくことにただ苦しまざるをえない、そんな状況なんじゃよね。
そういう人がいるかもしれない、そんな可能性を知るだけでも、違うんじゃなかろうか。
正直、わたしがずっと思っていたことを、言語化してくれた小説なので、新たな発見とかないですけど、、、これを読んで、ひろきとか八重子のことをイライラするという人とは、わかりあえないなと感じます。