crazy-tamako’s blog

私のオウムになってください

私の生活を分析するための、備忘録。
収支状況の分析。メモ。たまに趣味と夢の話。

ジョジョラビット

2025〜2026

 

見事に仕事を無理やり納めた、納めたというか押し込んで溢れたものを放置して帰った日から、喉痛!次の日、発熱、しばらく発熱!

残念ながら、バケーションの予定が入っていたので、とにかく移動してひたすらホテルで寝てました。家に帰ってきて、年が明けても、寝てます。

寝たきり!NETAKIRI!!

紅白も見ず、格付けだけ観た思い出しかない、年末年始でした。

 

本厄だったのですが、とくにトラブル等もなく、無事年末を迎えたので、その精算がこの体調不良やったかな、と、犬や家族に何か降りかかることもなく、とてもありがたいことでした。

 

年末年始、ひたすらぼーっとしてたんですが、横たわると咳がひどくて眠れたものではなくて、気を失うのを待つしかなくて、ポケモン図鑑埋めしたり、スマホをひたすらスクロールしたり、アマプラみたりしてました。

 

Fallout season2 まだep3までなんですけど、これがほんまにおもろいです。ゲームの世界観をほんとによくリスペクトしてくれていて、頭とか吹っ飛びますし、体が二つに裂けたりするけど、子供と犬は絶対領域なので安心して見れてます。

劣化版ローマ帝国みたいなのもあって、ほんとにおもしろかったですね。アメリカの土地の中の話なのに、ローマ帝国みたいな派閥が誕生してて、その中で内戦が起きてるんですよ。対抗馬がモンゴロイドっぽかったのもよかったです。

なんか、正解(不正解でもある)と正解(不正解)をぶつけ合って、ニンゲンとして生きていく最適解(でもないんだけど、ウエストランドでは新しい解決方法)を捻り出していく、おもろい話なんですよね。

箱庭から出てきたニンゲンたちが物語をリードするんですけど、逆に片方の世界しかしらない人たちは、やはり物語をリードできないわけですよ。

私もそういう人間でありたいな、と強く思いました。

 

はい、話変わってジョジョラビットです。

タイカワイティティとサムロックウェルが出ているのに、見ていなかった、いわゆる詰み  残し映画。

すごい、よい映画でした。コメディであったかいシーンが表にあるからこそ、その裏の現実は本当に残酷であることがよく伝わる、素晴らしい作品だと思います。

スカヨハのお母さんの演技が素晴らしすぎる。

アダムドライバーとW主演のマリッジストーリー、ほんまに素晴らしい作品だったんですが、このときもスカヨハうますぎひん?と思ってたんですが、これはあかんわ。ドイツ語訛りっぽい英語もすごいね、女優すごい。

 

この映画監督、ほんとに映画撮るの上手じゃないですか?

映画撮るの上手だなー、って思ってる人、ミーハーで恐縮ですが、JJとノーラン、ナイブズアウトの人、そして、ワイティティですよ。

 

シオングレイジョイの人、めっちゃ背が高くて、驚きました。そして、ちょっと調べて見たんですけど、この頃のドイツの同性愛者の迫害はユダヤ人と同様にひどかったようですね。収容所へ収監された人数も残ってないようですし、透明も透明にされすぎてる。

しかも、咎められたのは特に男性で、女性の同性愛者は、迫害の対象にはならなかったと。透明ですらない、それは無。フェミはこういうのもちゃんと声あげて欲しい。

自分たちのアイデンティティの押し付けっぽい、なんだろ、ジェンダーを軸に自己確立しようとしている人間はとても弱いと思う一方、ジョジョラビットの中に出ていた恰幅のよい18人も子供を産んだ女性も、ある意味でかっこよかった。あれはなんだろうな、自己の上にジェンダーがあるからだろうな。

ナチはミソジニーのミソの凝縮暴力すぎます。

キャプテンK、素晴らしかった。透明化させない、全てが。サムロックウェルだろうよ、あのキャラクターは。

 

今の世界情勢をみて、私たちは大丈夫かな、と思うわけです。

私は割と右よりの人間ですから、排斥の動きも理解できるし、気持ちもわかる。

一方で、戦争を始める時、国民の共通の敵を作るのが、1番手っ取り早いのだ。お隣がそう。

年始からベネズエラを攻撃したアメリカもそう。

 

本当の敵は、なんでしょうね。そこを深く考えられるような人間を多く育むきっかけを与えるのが、文化であり、芸術であり、教育であるんじゃないでしょうか。

ジョジョママは、そうでした。キャプテンKは、敵とかではなく、何がそのとき大切かをわかってる人間だった。

私たちは、ただ単純に生きていきたいだけだから、大きな流れにすぐに飲み込まれてゆく。

もし、飲み込まれた時、私はどうするだろう?犬が傷つかない人生を選ぶだろう。

ラムセス2世。

私は、結局プラットフォームに回帰するのです。

 

 

 

 

 

what are your responsibilities?

最近、英会話で1番回答に困った質問。

 

聞かれたとき、responsibility の意味はわかってたけど、適切な回答が思い浮かばなくて

 

What does responsibility means?

 

とか頓珍漢な質問をしてしまった。

あたりまえに、先生はdutyとか教えてくれるわけなんすけど、いやもう、何の捻りもなく、以下の質問なんですよね。

 

あなたの責任/責務は何か?

あなたは何の責任者なのか?

 

基本的に日本だと業務の責任者は上司、課長および部長になると思う。

なぜなら書類のハンコや名前や承認は、この人たちになるからっすよ。

わたしは担当者として、せこせこ業務を回してるわけなんすよ。何かの責任者だ!と思って、仕事を回している認識はないんよ。

日本は、担当者と責任者は別のイメージなんすよ。

 

え、わ、わたし、責任…といえるものがない?となって、すごく困って、何の回答もできないまま終わった。

 

なんでこんな質問してきたんやろ、と思って、ちょっとググってみたら、以下のページがでてきまして、海外と日本のビジネスにおけるresponsibility の考え方って違うのか、という気づきを得ました。ほんと初手から。

 

https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/responsibility-accountability_b_8046218/

 

わたし、自分で責任とるという気概では仕事してるけど、実際はそうじゃないのよね…

 

課長、部長クラスになったら、

 

I'm responsible for planning section / managing at the funds in this department .

 

とかいえるのかな。(あってんのか?

 

 

でもなんかいろいろ英文を見て考えてたら、ハンコを押す責任者というヘビーな認識よりは、(責任感を持って)業務を担っている、というカジュアルな認識で返してもいいのかな、という気になってきた。

次回は、わたしはこの業務の担当やでという意味合いで回答をしたらいいかな?とちゃんと文章を作っておくことにした。

 

頭の整理のため、独り言を残しておくことにする。

 

 

 

 

新聞を取り始めた話

もともと日経電子版を長らく愛顧している身なのですが、ちゃんと読む時期とそうではない時期の波がありつつ…

 

この数ヶ月特によく記事を読むようになった点と、家族が紙新聞を読みたいといいだしたので、十数年ぶりに新聞配達をお願いすることになりました。

 

一週間ほど経ってとってよかったと思っている点としては、新聞ではなく新聞の折込の存在だと思います。

近所のスーパーのチラシとか、生活と地域に密接した情報って、ただその場所に住んでいるだけだとなかなか手に入らないんですね。

折り込みで初めて、あのスーパーって確かに他所と比較すると安いんやな…ということがわかったり。

 

我が家は埋め込み型のでかいエアコンなんですが、おそらく建てられた時からずっとそのままで、そろそろ入れ替えたいなーとぼんやり思っていたんです。もう築30はいってるマンションです。

ただ、インターネットで調べても結局個人だとどこに見積もりをお願いすればわからなくて諦めてました。相場もわからないし。

インターネットの海は、こういう物理的に身近な探し物に苦労します。

 

今回、折り込みの中に、エアコンのチラシが入ってて、あ!これだよ!と思って、速攻で電話しました。

やるなら今!最近のモットーやるならいま!

 

暮らす、というのは、ただそこに住む、ということではなくて、生きるために何かをしている、ということなのだと思います。

転勤や引っ越しがこれまで多く、所帯も持ってない独り身なので。あまり土地に根ざす、という考えを持ったことがなかったんですけど、新聞を機会に暮らすということについて考えるようになりました。

 

また、もし親や私に何かがあった時に、新聞がたまってたら、あのお家大丈夫かしら?ともなりますし、新聞配達を頼む、ということでもたらされる社会や地域とのつながりは少なくないですね。

 

海の中を漂うわたしからでた新聞配達というひとつの錨が、わたしの存在をこの地球に結びつけて、どこかに消えていなくなることを抑止してくれている。という感じ。

 

 

 

 

 

 

決闘(チェーホフ)

去年の5月に書いたっきり下書きに入っていたやつ

 

随分前にKindleで、ロシア文豪の短編集を買いまして少しずつ読んでいたんですけど(何せ800ページ…)大物が終わったので、感想を残しておこうと思います。

 

舞台を嗜む身でありながら、チェーホフを読んだこともないのがちょっと恥ずかしかったから、ガルシンチェーホフという順で。

桜の園は戯曲なので、一旦おいておく。

 

チェーホフは無駄を削ぎ落としまくる小説家というのはwikiで読んで把握してて、読みながら確かにそうだなぁ、と思ったんだけど、いかんせん短篇にしては長くない?と感じながら読み進めた。

ながーーーーい平均台をずっと早歩きしてる感じ。

 

怠慢な公務員と動物学者がたがいに「なんかこいついけすかねぇ」と思い合って拗らせまくって決闘する話。

 

決闘といえば、リドリースコットがメガホンを取った最後の決闘裁判という映画が私にとっては、大きく印象に残る作品なんですけど、(あれが世間的に評価されていないのは甚だ疑問なんですが)あれは暴力と女と権力って感じの決闘で、今回の決闘とは性質が全く異なる内容だなと、感じました。

だから、チェーホフのいうこの決闘ってどういう意義があったのだろうというのはちゃんと考えたいです。

 

チェーホフは生活と人生って感じですよね。

登場人物それぞれにいいなぁ、と思う台詞があるので残しておこうと思います。

 

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これは動物学者、フォンコーレンくんの言葉。

怠慢な主人公ラエーフスキィくんにどうにかしてお金を貸してあげたい親友のサモイレンコが、道中出会った存在たちをぶち滅ぼす害獣はなんのために創造られたのか?という質問に対しての回答。

旦那のいる若くて美しい女を搾取し、万事努力をせず、博打に興じ、フラフラと遊び回るラエーフスキィ君もある意味、周囲に対してそういう存在なのじゃないかと思って、ラエーフスキィくんのことを聞いてるのかな?と思ったんですが。

上記の回答によって、生き物の淘汰において害獣は必要不可欠な存在だと彼は肯定しているわけですが、それはある意味、ラエーフスキィくんの存在を認めているということになるのだと

思います。

フォンコーレンくんが、彼を忌み嫌うのは、そういう放埒な人間がいることを認めており、そう言う存在がなければ、生き物は切磋琢磨を掻い潜る生存競争さえ起こり得ないとわかっているから。わかっているからこそ、悔しいけど、認めざるを得ない!というような矛盾があるのですね。

世間が私通や不品行を排斥するような教養を持ち合わすことができるのは彼のような存在がいるから、逆説的にいえば、彼のようなカオスが生まれるのはそう言う教養があるから。

この世は全てバランスで成立しておりますので(唐突なスターウォーズジェダイ一般教養ですが、この世の真理だと私は認識しています)

彼らは二律背反のそれこそルークとダースベイダーみたいな。関係なのではないかと思います。

 

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サモイレンコの良心に対して、彼はこう警告をしています。

その後、彼は額をポンと叩いた。

という描写があるので、人に対する愛は理性のもとにあるべきという考えが彼にあるのだと思います。

 

そして、わたしの人生の中でも、不条理や浅薄な自己救済他者救済にぶち当たって、へこたれそうになっても、それらは全て害獣であり、この天下の淘汰の一貫であると諦めることができるなあとも思えました。

 

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そして、これは、そんなラエーフスキィくんが、自分の女が他所の男との浮気現場を目撃してしまったあとの雷雨の中での心情ですね。

お金を借りられなくて、結局飽きた女を捨ててペテルブルクに出て行く算段がつかないまま、フォンコーレンに当たり散らして、

「っしゃ、表でろ!決闘や!」

「やったるわ」

みたいな感じの後でもあります。

命が明日にはないかもしれない、とか、自分がやったことをいざやられてみて初めて、ラエーフスキィくんは己がただこの場から全てを捨てていなくなれば万事うまく行くと思っていることがそうではないという現実を受け止め始めました。

ラエーフスキィくんのいいところは、教養があることです。もぐらの如き害獣の素質はあれど、結局は女のことを考え、責めず、悔いて、他人に救済を求めませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

いやほんとただそれだけなんだけど、

 

普通のことです(映画『正欲』をみました)

23日土曜日、クリスマスシーズン真っ只中でした。ネオンと、ネオンに群がる人間たちがたくさんいました。

私はスクリーンの前に座る1人でした。

 

映画、とてもよかったです。

 

本は自分の解釈で画を描いてましたが、映画は監督やスタッフやキャストや複数の人間の解釈が入って、何回もストンと違う形で解釈が落ちてきて、さらに深まりました。

 

エンディングを歌うVaundyのアルバムは好きで大体聞いてるんですけど、今回の「呼吸のように」は、単品でもいいんですけど、映画とセットでさらにコクがでてます。

めちゃめちゃ高い音階の、多分88鍵盤の限りなく端の方やと思う。クレジットに入った時のピンという音が、泣き声みたいな叫び声みたいな音で、辛くて涙が出そうになります。

 

私はsuchmosのヘビーファンでWATERというSingleがイッチャン好きどす。

https://youtu.be/lncygpXh01U?si=TwD0CKHF3X2Bet9a

この曲のピアノがほんとに最高なんすよね。似てるなと思ったら、ピアノはSuchmosTAIHEIが弾かれていたそうです。

なっっっっとく。

私が復活を待ち望んでいるグループ、SMAPSuchmos

 

佳道くんと夏月さんの2人の関係にフォーカスした映画だったと感じました。

 

これが愛であって欲しいと言うのが

君であって欲しい

これが夢であって欲しいと思うのが

君であって欲しい

 

吾郎さん(ヒロキ)はいかにも「悪いやつ」という感じでした。大きな流れの中でみると、夏月さんと街中で話したシーンだけはとても「いい人」に見える。地球の留学生たちにとっては、ヒロキがこの地球の「いい人」だからとてもひどい人間だった。吾郎さんはとてもよく演じていたと感じた。

「悪いやつ」、悪くてよかったけど、なお、私は気をつけないといけないなと思う。

人間はだいたい誰かにとっては悪いやつで誰かにとっていいやつだ。

検察はいないといけない、ハンムラビ法典ができたように、この世には基準が必要だ。

だから、吾郎さん(ヒロキ)は必要悪。

 

役者がほんとうによかったな、みんな狂気を抱えていた。正欲、性欲という狂気、1人で生きられない辛さ、でも1人で生きていかなければいけない寂しさ、何かを愛したい怖さ。カオスを抱えた人間たち。八重子役の女の子、まさに八重子で個人的助演女優賞

 

明日を普通に当たり前のように生きていく人間の中で、明日も普通に生きられない人間たち。

 

本の最後の八重子とよし香のくだり、私たちの無意識のうちに傷ついたり傷つけられたりのくだりがカットされていて、藤原悟の結果もカットされていたから、繋がりを持たなかった人間の末路と繋がることすら許されない人たちの苦境が、対世界ではなく、対吾郎さんという形で描いていたのが、本と違う印象を持ちました。

悪いやつだな、ね、でもそれって、私のことでもあるんだと思う。

 

今年見た良映画に食い込んできます。

 

 

 

犬を飼いました

唐突にすみません。

 

兄夫婦に子供ができたので、バランスを考えて私も命を迎え入れたいなぁと思い、犬を迎えることにしました。

 

この一行エゴ凝縮200%ですね。

 

ずっと犬いいなぁと思ってたんですけど、結局エゴだし、ただ無駄に人生を消化試合真っ最中の私のような人間に迎え入れられる犬のことを思うと、かわいそうだよなぁというのがあり、その選択肢を持つたびにやめなされ、ともう1人の自分が諭していました。

 

孤独死やゴミ屋敷に住む人たちの中には、やはりうさぎや犬猫を飼っていた方もいて、なんというか、死やカオスへのベクトルは責任感や愛をも凌駕することがあるんだと感じていました。まあそれっぽっちの人間だということなんですが。

私もそのベクトルが潜在的にある人間だと評価しているので、そんな人間に振り回される動物たちのことを思うと、そんな選択肢を持ってはならぬと思っていました。

 

でも、赤ちゃんの誕生を願うたびに、バランス、バランス、とどこかの思念体からの声が聞こえるので、ついに友人に

「犬飼いたいんだけど、これって人間のエゴだよね?」

と聞くと、

「エゴだよ。でもいいんじゃない?犬はもうすでに生まれてるんだから」

と返ってきたので、本格的に犬を探し始めました。

 

ところで、私はスリラー映画「プラットフォーム」が大好きです。

手づかみで飯を食う、食う、たまに血みどろブシャー、糞尿もでる、飯を食う、血みどろブシャーみたいな映画です。でもその軸は、何かしらの敬虔な宗教のようなものです。

何百層をも貫く、収容された人々の好物を運ぶプラットフォームのように、この社会を貫く脆くて争いを生む一本の重要な柱のような、人々が共通して持つ概念を描いていると私は思います。

ここにラムセス2世という犬が出てきます。

彼は、結構早く、割と犬好きは暴動を起こすくらいの残虐な形で死にます。

ですが、それがきっかけで、主人公は地獄のような1ヶ月を乗り越え、革命へと乗り出します。

(ラムセス2世の飼い主は、この社会システムに平等と平和を構築したいといい、腐り切った主人公に発破をかける存在の人間でした)

ということで、私は犬を飼うなら、これくらいを求めるわ、ということで、ラムセス2世と同じ犬種の男の子を迎え入れて、ラムセス2世という名前をつけました。笑

革命までは求めませんが、でも、何か人生という冒険に付き合ってくれる相棒として、私の道を導いてくれるといいなと思っています。

 

ラムセスくんと呼んで、みんな可愛がってくれています。

 

映画やファラオのように平和の象徴になることを願っていましたが、確実に私の家族に平和をもたらしてくれたし、私の心も平和にしてくれています。

 

犬はいいですね。

人間と違って、万事絶対評価なのでブレない。

よく食べてよく寝てよく遊んで。

そして、性欲は人間によって削ぎ落とされ。

 

犬だけは、人間を裏切らないし、犬を心の支えにすることは誰も不幸にならない。

でも人間と同じ歩みはできない。それだけがデメリットでふ。

 

この薄暗い私の価値観を犬が変えてくれるかと思ってましたが、なーーーんも変わらん!!!

 

あと犬を迎え入れて気づいたことが多々あったので、それは今後の記載に踏み込んでいこうと思います。

 

 

 

 

 

 

傲慢と善良

周囲のアラサー女たちがオススメしてきたので、読みました、最初と最後だけ。

全部読めなかったんです。

なので今年の読書数にはカウントしません。

 

全部読めなかった理由を述べます。

だいぶ、ネタバレしてます。

 

 

 

 

ストーカーの話が出た時点で、ファンタジーだなこれは、この女は嘘をついているとわかってしまいました。

ポースケにガチのストーカーがいたこと、リアル生活でも脅威に晒されていた私にとって、もう、これは違うなと。

架という39歳独身男性、真実はそんなことしない、と信じようとする姿勢も気持ち悪かった。おめでたいやつすぎる。

それからだんだん真実のお母さんとかチラッと出てきて先の展開が私の中で鮮明に見えて、とてもつまらなく思えてしまって、具に読むことを諦めました。

 

めちゃめちゃ飛ばして最後を読んでさらにがっかりしました。

大恋愛で〆るんですか、ここまで人の傲慢さを描いておいて、大恋愛とかいう言葉で、好きです、と言う率直な気持ちを受け止めあって、それで結婚式あげて…

まとめ方が綺麗すぎて、驚きあきれてしまいました。この二人、なんて傲慢なの…?善良の部分どこ?

恋愛ミステリというカテゴリらしいので、そういう意味では納得なんですけど、世間がそう持て囃すような内容がここにあったのかな?と思いました。

 

私は婚活とかしようと思ったこともありましたけど、結局そこまでの熱意がなくて、というか人とのお付き合いが本当に無意味だし苦痛で、やめました。人として未熟なので。

 

結婚なんてただの人が生きながらえようとするシステムですから、正直条件や違和感さえなければそこに好意や愛なんかなくても、長生きできそう、安心して種の繁栄に努めることができると思えたら結婚すりゃいいと思ってます。

みんなそんな感じで婚活してると思ってたから、なんか最後に大恋愛とか言われちゃって、みんな結局恋愛を伴った結婚をしたいんか?とと思ってなんか、諦め悪くてダサすぎる…とさらに人類に絶望した次第です。

 

この小説が評価されるのはそう言う部分じゃなくて、誰かと繋がり合うことが難しい社会の中での生きづらさみたいなのが共感できるから、という部分なのかなと思ったんですが、結婚恋愛男女という大前提で描かれてるから私としてはあまりピンと来なかったのかなと思いました。

浅井リョウの正欲の方に私は共感と羨望の気持ちを抱いたので、そういう宗派だったんだと思うことにしています。

 

 

好きな人と結婚できたという友人が、好きなタイプじゃない人と付き合うのは大変。この本に関してあまり共感ができなかったと言っていたんですが、なんかそれもあまりピンときてなくて。

好きなタイプだったとて、人とつながり合うことで伴う意味のわからない周囲の人間たちの思惑が絡まり合って、自分の選択がわからんくなっちまうこととか絶対にあると思うんです。

そういう好きな人と付き合って結婚とか、浅い層の話じゃなくて、もっと根本的な人を選ぶことに伴う環境要因的な苦しみ、辛さ、悩みとか、自身の中の覚悟的な意味合いとかの、そう言うもう少し踏み込んだ話なんじゃないかなと私は思うわけです。

こう、結局自分の選択に確実な信念を持って突き進めた2人を羨ましいと思う人たちはおるのかもしれん。そういう悩んでる人たちの後押しになる作品であるなら、確かにいい作品なんだろうなと思いました。

 

私はまだ結婚とか考えてないし、今はしたいとも思えないし、まだ1人で思想を深めていたいので、そこの人と繋がりたいというのがわからんので、そこの根本的な苦しみとかはまだわからんのですが。

 

その友人とは傲慢と善良の善良な部分は、鈍感とかじゃないのか?とかいろいろお互いに悪口言ってました。

 

その後話の流れで、私の最近良かった本を教えて欲しいと言われたのでチェーホフの犬を🐩連れた🐕奥さんを上げたんですが、これって、好きな人と結婚できたから傲慢と善良の2人に共感できなかったという友人のアンチテーゼになるんじゃなかろうかと、喧嘩を売ってしまった気分です。

 

チェーホフの犬を連れた奥さんは、恋愛と結婚をバッサリと分け切っていて、こう断ち切れない愛と断ち切れない夫婦という狭間で、その摩擦でさらに燃え上がってどうしようもなくなる2人を描いているのがすごく好きだったんですよね。

あれは、2人が結婚してなきゃ成立しない激しい愛なんです。

無味乾燥、子供の存在や夫のステータスなどさらに色々なバイアスがかかることによって、2人はさらに悩み、愛してしまうんです。

という、人間のつくった婚姻制度が、人間の本能を昂らせているというその愉快な事実を感じられることがとてもいいな思って、単純に友人におすすめしたんですけど…

アンチテーゼであることに気づかないかな、とは考えています。

恋愛と結婚は、相対するものであるから、その点うまく割り切れていないと、今後しんどいんじゃないかと思います。

なんて、言いたいんですけど、友人には言えないっすね。

 

結婚をしたい、じゃなくて家族になりたいが正解であって、

恋愛の先に結婚があるのではなくて、結婚の対極に恋愛があるのではないかと思います。

 

チェーホフの話だしましたけど、彼の作品、とても好きです。

ロシアの文豪たちを今追いかけています。

ガルシン、好きすぎて短篇の単行本も買ってしまいました。

今度レビューしたいと思います。