crazy-tamako’s blog

私のオウムになってください

私の生活を分析するための、備忘録。
収支状況の分析。メモ。たまに趣味と夢の話。

普通のことです(映画『正欲』をみました)

23日土曜日、クリスマスシーズン真っ只中でした。ネオンと、ネオンに群がる人間たちがたくさんいました。

私はスクリーンの前に座る1人でした。

 

映画、とてもよかったです。

 

本は自分の解釈で画を描いてましたが、映画は監督やスタッフやキャストや複数の人間の解釈が入って、何回もストンと違う形で解釈が落ちてきて、さらに深まりました。

 

エンディングを歌うVaundyのアルバムは好きで大体聞いてるんですけど、今回の「呼吸のように」は、単品でもいいんですけど、映画とセットでさらにコクがでてます。

めちゃめちゃ高い音階の、多分88鍵盤の限りなく端の方やと思う。クレジットに入った時のピンという音が、泣き声みたいな叫び声みたいな音で、辛くて涙が出そうになります。

 

私はsuchmosのヘビーファンでWATERというSingleがイッチャン好きどす。

https://youtu.be/lncygpXh01U?si=TwD0CKHF3X2Bet9a

この曲のピアノがほんとに最高なんすよね。似てるなと思ったら、ピアノはSuchmosTAIHEIが弾かれていたそうです。

なっっっっとく。

私が復活を待ち望んでいるグループ、SMAPSuchmos

 

佳道くんと夏月さんの2人の関係にフォーカスした映画だったと感じました。

 

これが愛であって欲しいと言うのが

君であって欲しい

これが夢であって欲しいと思うのが

君であって欲しい

 

吾郎さん(ヒロキ)はいかにも「悪いやつ」という感じでした。大きな流れの中でみると、夏月さんと街中で話したシーンだけはとても「いい人」に見える。地球の留学生たちにとっては、ヒロキがこの地球の「いい人」だからとてもひどい人間だった。吾郎さんはとてもよく演じていたと感じた。

「悪いやつ」、悪くてよかったけど、なお、私は気をつけないといけないなと思う。

人間はだいたい誰かにとっては悪いやつで誰かにとっていいやつだ。

検察はいないといけない、ハンムラビ法典ができたように、この世には基準が必要だ。

だから、吾郎さん(ヒロキ)は必要悪。

 

役者がほんとうによかったな、みんな狂気を抱えていた。正欲、性欲という狂気、1人で生きられない辛さ、でも1人で生きていかなければいけない寂しさ、何かを愛したい怖さ。カオスを抱えた人間たち。八重子役の女の子、まさに八重子で個人的助演女優賞

 

明日を普通に当たり前のように生きていく人間の中で、明日も普通に生きられない人間たち。

 

本の最後の八重子とよし香のくだり、私たちの無意識のうちに傷ついたり傷つけられたりのくだりがカットされていて、藤原悟の結果もカットされていたから、繋がりを持たなかった人間の末路と繋がることすら許されない人たちの苦境が、対世界ではなく、対吾郎さんという形で描いていたのが、本と違う印象を持ちました。

悪いやつだな、ね、でもそれって、私のことでもあるんだと思う。

 

今年見た良映画に食い込んできます。

 

 

 

犬を飼いました

唐突にすみません。

 

兄夫婦に子供ができたので、バランスを考えて私も命を迎え入れたいなぁと思い、犬を迎えることにしました。

 

この一行エゴ凝縮200%ですね。

 

ずっと犬いいなぁと思ってたんですけど、結局エゴだし、ただ無駄に人生を消化試合真っ最中の私のような人間に迎え入れられる犬のことを思うと、かわいそうだよなぁというのがあり、その選択肢を持つたびにやめなされ、ともう1人の自分が諭していました。

 

孤独死やゴミ屋敷に住む人たちの中には、やはりうさぎや犬猫を飼っていた方もいて、なんというか、死やカオスへのベクトルは責任感や愛をも凌駕することがあるんだと感じていました。まあそれっぽっちの人間だということなんですが。

私もそのベクトルが潜在的にある人間だと評価しているので、そんな人間に振り回される動物たちのことを思うと、そんな選択肢を持ってはならぬと思っていました。

 

でも、赤ちゃんの誕生を願うたびに、バランス、バランス、とどこかの思念体からの声が聞こえるので、ついに友人に

「犬飼いたいんだけど、これって人間のエゴだよね?」

と聞くと、

「エゴだよ。でもいいんじゃない?犬はもうすでに生まれてるんだから」

と返ってきたので、本格的に犬を探し始めました。

 

ところで、私はスリラー映画「プラットフォーム」が大好きです。

手づかみで飯を食う、食う、たまに血みどろブシャー、糞尿もでる、飯を食う、血みどろブシャーみたいな映画です。でもその軸は、何かしらの敬虔な宗教のようなものです。

何百層をも貫く、収容された人々の好物を運ぶプラットフォームのように、この社会を貫く脆くて争いを生む一本の重要な柱のような、人々が共通して持つ概念を描いていると私は思います。

ここにラムセス2世という犬が出てきます。

彼は、結構早く、割と犬好きは暴動を起こすくらいの残虐な形で死にます。

ですが、それがきっかけで、主人公は地獄のような1ヶ月を乗り越え、革命へと乗り出します。

(ラムセス2世の飼い主は、この社会システムに平等と平和を構築したいといい、腐り切った主人公に発破をかける存在の人間でした)

ということで、私は犬を飼うなら、これくらいを求めるわ、ということで、ラムセス2世と同じ犬種の男の子を迎え入れて、ラムセス2世という名前をつけました。笑

革命までは求めませんが、でも、何か人生という冒険に付き合ってくれる相棒として、私の道を導いてくれるといいなと思っています。

 

ラムセスくんと呼んで、みんな可愛がってくれています。

 

映画やファラオのように平和の象徴になることを願っていましたが、確実に私の家族に平和をもたらしてくれたし、私の心も平和にしてくれています。

 

犬はいいですね。

人間と違って、万事絶対評価なのでブレない。

よく食べてよく寝てよく遊んで。

そして、性欲は人間によって削ぎ落とされ。

 

犬だけは、人間を裏切らないし、犬を心の支えにすることは誰も不幸にならない。

でも人間と同じ歩みはできない。それだけがデメリットでふ。

 

この薄暗い私の価値観を犬が変えてくれるかと思ってましたが、なーーーんも変わらん!!!

 

あと犬を迎え入れて気づいたことが多々あったので、それは今後の記載に踏み込んでいこうと思います。

 

 

 

 

 

 

傲慢と善良

周囲のアラサー女たちがオススメしてきたので、読みました、最初と最後だけ。

全部読めなかったんです。

なので今年の読書数にはカウントしません。

 

全部読めなかった理由を述べます。

だいぶ、ネタバレしてます。

 

 

 

 

ストーカーの話が出た時点で、ファンタジーだなこれは、この女は嘘をついているとわかってしまいました。

ポースケにガチのストーカーがいたこと、リアル生活でも脅威に晒されていた私にとって、もう、これは違うなと。

架という39歳独身男性、真実はそんなことしない、と信じようとする姿勢も気持ち悪かった。おめでたいやつすぎる。

それからだんだん真実のお母さんとかチラッと出てきて先の展開が私の中で鮮明に見えて、とてもつまらなく思えてしまって、具に読むことを諦めました。

 

めちゃめちゃ飛ばして最後を読んでさらにがっかりしました。

大恋愛で〆るんですか、ここまで人の傲慢さを描いておいて、大恋愛とかいう言葉で、好きです、と言う率直な気持ちを受け止めあって、それで結婚式あげて…

まとめ方が綺麗すぎて、驚きあきれてしまいました。この二人、なんて傲慢なの…?善良の部分どこ?

恋愛ミステリというカテゴリらしいので、そういう意味では納得なんですけど、世間がそう持て囃すような内容がここにあったのかな?と思いました。

 

私は婚活とかしようと思ったこともありましたけど、結局そこまでの熱意がなくて、というか人とのお付き合いが本当に無意味だし苦痛で、やめました。人として未熟なので。

 

結婚なんてただの人が生きながらえようとするシステムですから、正直条件や違和感さえなければそこに好意や愛なんかなくても、長生きできそう、安心して種の繁栄に努めることができると思えたら結婚すりゃいいと思ってます。

みんなそんな感じで婚活してると思ってたから、なんか最後に大恋愛とか言われちゃって、みんな結局恋愛を伴った結婚をしたいんか?とと思ってなんか、諦め悪くてダサすぎる…とさらに人類に絶望した次第です。

 

この小説が評価されるのはそう言う部分じゃなくて、誰かと繋がり合うことが難しい社会の中での生きづらさみたいなのが共感できるから、という部分なのかなと思ったんですが、結婚恋愛男女という大前提で描かれてるから私としてはあまりピンと来なかったのかなと思いました。

浅井リョウの正欲の方に私は共感と羨望の気持ちを抱いたので、そういう宗派だったんだと思うことにしています。

 

 

好きな人と結婚できたという友人が、好きなタイプじゃない人と付き合うのは大変。この本に関してあまり共感ができなかったと言っていたんですが、なんかそれもあまりピンときてなくて。

好きなタイプだったとて、人とつながり合うことで伴う意味のわからない周囲の人間たちの思惑が絡まり合って、自分の選択がわからんくなっちまうこととか絶対にあると思うんです。

そういう好きな人と付き合って結婚とか、浅い層の話じゃなくて、もっと根本的な人を選ぶことに伴う環境要因的な苦しみ、辛さ、悩みとか、自身の中の覚悟的な意味合いとかの、そう言うもう少し踏み込んだ話なんじゃないかなと私は思うわけです。

こう、結局自分の選択に確実な信念を持って突き進めた2人を羨ましいと思う人たちはおるのかもしれん。そういう悩んでる人たちの後押しになる作品であるなら、確かにいい作品なんだろうなと思いました。

 

私はまだ結婚とか考えてないし、今はしたいとも思えないし、まだ1人で思想を深めていたいので、そこの人と繋がりたいというのがわからんので、そこの根本的な苦しみとかはまだわからんのですが。

 

その友人とは傲慢と善良の善良な部分は、鈍感とかじゃないのか?とかいろいろお互いに悪口言ってました。

 

その後話の流れで、私の最近良かった本を教えて欲しいと言われたのでチェーホフの犬を🐩連れた🐕奥さんを上げたんですが、これって、好きな人と結婚できたから傲慢と善良の2人に共感できなかったという友人のアンチテーゼになるんじゃなかろうかと、喧嘩を売ってしまった気分です。

 

チェーホフの犬を連れた奥さんは、恋愛と結婚をバッサリと分け切っていて、こう断ち切れない愛と断ち切れない夫婦という狭間で、その摩擦でさらに燃え上がってどうしようもなくなる2人を描いているのがすごく好きだったんですよね。

あれは、2人が結婚してなきゃ成立しない激しい愛なんです。

無味乾燥、子供の存在や夫のステータスなどさらに色々なバイアスがかかることによって、2人はさらに悩み、愛してしまうんです。

という、人間のつくった婚姻制度が、人間の本能を昂らせているというその愉快な事実を感じられることがとてもいいな思って、単純に友人におすすめしたんですけど…

アンチテーゼであることに気づかないかな、とは考えています。

恋愛と結婚は、相対するものであるから、その点うまく割り切れていないと、今後しんどいんじゃないかと思います。

なんて、言いたいんですけど、友人には言えないっすね。

 

結婚をしたい、じゃなくて家族になりたいが正解であって、

恋愛の先に結婚があるのではなくて、結婚の対極に恋愛があるのではないかと思います。

 

チェーホフの話だしましたけど、彼の作品、とても好きです。

ロシアの文豪たちを今追いかけています。

ガルシン、好きすぎて短篇の単行本も買ってしまいました。

今度レビューしたいと思います。

 

 

ポースケ(津村記久子)

2023/3冊目

※積み本

 

新卒一年目時代に、娯楽も友人もない土地でへとへとになりながら本屋で手に取ったのが、その年の芥川賞をとった津村記久子さんのポトスライムの舟でした。

 

そのときから津村記久子さんの作品は相性の良いスキンケア商品みたいだなと感じて、目に入ったら買うということをしていたんですけど、読書の優先順位を第一に挙げるまで積み本の高い山の一層でした。

 

 

ポトスライムの舟については、会社の人間として6年間働いた身としては思うことがありすぎて別で語る機会を設けたいと思いますが、とにかく、働く人間にとって、少なくとも当時の私にとっては、そうだよね。そういうもんだよね、っていういい意味での諦観を与えてくれた、ある意味、私の人生において大事な一冊です。

 

ということもあり、ポトスのその後なら読むしかと思って当時買ったんだろうな、と思って巻末をみたら、初版2018年でした。約5年、その年なのかな。積みすぎやろ。

 

ポースケ、すごく面白かったし、楽しかった。笑ったり、ほろりときたり、ひえっとなったり。もー人生って感じ。

歳をとるにつれて、いろいろ経験するにつれて、わかるなぁと思うことが増えてくる。

特に、ゆきえの話はとてもとてもタイムリーだったので、悪い意味でね、電車の中で司の手紙のシーンにぶち当たった時、びっくりしすぎて、顔を上げてそのまま本を閉じました。

おんなじようなことをする人がこの世にはやはり一定数いるんですね。

 

津村記久子さんは、悪いやつというか、攻撃する人間の描き方がすごくリアルで不快さを感じる。元カノのアパートに声かけるでもなく、ただじっと監視している様子、ぼんちゃんの存在を知ってからの司の手紙を投函するという行動、「いい距離感で向き合いたい。」の気持ち悪さ、向き合おうとすな…。なんでそんな歪んだ感情を抱きながら、人にぶつけられるエゴイズムが誕生すんねん、抱えても行動すな!大人やろ!!!!自己救済するなら、1人だけで上がれるよう努力しろよ…他人下げるのカッコ悪すぎやろ…なんで、わたしたちにこだわるの…わかる。無理!わかる…気持ち悪い…

攻撃された側の人間の受け流し方、受け止め方、傷つき方もそれぞれリアルで、傷つけられた人たちのそばにいる人たちも、それぞれの距離感だった。

 

個人的に、深い河では犀鳥とオウムの話がすごく好きだったので、個人的にケンイチくん?と冬美さん匠さん夫妻の話は印象的でした。

わたしも、誰にも言えないような話を聞いてくれるそんな相手が欲しいなと、朗読するのもすごくいいなと思った。誰にも言えない話なんてないんですけどね。

結局、冬美さんは、誰にも言えないような、でも言いたい気持ちをいつも抱えて過ごしているけど、咀嚼しながら忘れてったり、匠さんに話したりして、今回若本さんという人とも通じ合えて、そうやって少しずつ話していくのかなと思う。

あと、前職に匠さんという男性がいて、その人も小説書きそうだったから、匠さんイメージがよりリアルだった。

 

小説だけど、私たちの日常だった。

ヨシカは、死刑囚が食べた料理を、明日も生きようとする人たちに食べさせた。

私も、明日を生きようとする人間だ。

明日死にたくない、違うな、死んでないから明日を生きるしかない、そういう感じ。

ヨシカは「明日のことを考えていた。」っていう一文があったんですけど、そういうことだなと思うんですよね、毎日。

明日がある人間が、ご飯を食べる。それで、ずっといいんだよね。

 

私はあまり食に興味がない人間だから、正直食べ物は食べれるんだったらなんでもいい。

でも、人間の、共通した、セックスの次くらいに普遍的に密接に取れるコミュニケーションてやはりご飯を一緒に食べることやと思うから大事だなと感じる。

 

通勤時間の合間に気負わずに読めて、でも心に残る良い小説だった。

次は、三島由紀夫金閣寺を予定しています(怯)

 

 

 

悲しみの歌(遠藤周作)

2023/2冊目

 

深い河、沈黙、海と毒薬を去年経て、全く救いのない海と毒薬の登場人物のその後があると知ったのと、浅井リョウさんの正欲を読んだ後、戦後作品のコテコテの文章が恋しくて回帰。

 

ただひたすらに悲しくて、苦しくてビシャビシャに泣いて終わった。ガストンがとてもよかった。この遠藤周作著作界の光である。

ガストンがたくさん泣いて、ガストンが物理的にもメコメコにされて、ガストンが一生懸命に人に尽くそうとする。ガストンがいるから、わたしは最後まで読めたな。

深い河にもガストンはいたね、救いを求める人の話に彼は現れる。イエスかな。 

 

海と毒薬に救いがなかったから、それを求めたはずだったのに、とても苦しくて悲しかった。

読後の私の夢は、知人が勝呂のような結末を迎える、なんとも言いようのない内容だった。

でも、苦しくて悲しかったけれども、読後には確かに、沈黙の表紙のような、雲間に一瞬だけ現れる太陽光のようなそんな救いがあると感じたのは確か。それはガストンではなくて、勝呂の生きてきた人生の中の、勝呂自身が見た一筋の光だと思いたい。

 

浅薄な正義、枯渇した想像力、豊かな自己憐憫、身勝手な自己救済、傲慢で強欲な人間たち。そんなものが渦巻くこの世界で、生きていかないといけない。

悲しくて、苦しくて、それでも生きていくためにどうにかこうにかするという話はよく見るけど、生きていくことを超越した人生の救済の究極の話だった。

 

遠藤周作作品のいいところは、この世界に共通する精神世界の根底にアプローチしてくるところ。社会ではなく、人間とのつながりではなく、個々の心にあるたまねぎに響かせてくるところ。。。

 

遠藤周作は、こんな作品を描きながらそれでもちゃんと生きて著作を残してくれているのが、すごい。そこの折り合いはなんだったのかな。

たまねぎなのかな。

 

私、たまねぎ好きだな。

 

正欲(浅井リョウ)

2023/一冊目

 

読みました。

友人と話してて、無敵の人の存在についての話になったとき、この本をお薦めされました。

「社会との繋がりがない人は無敵。なんでもできる」

繋がりって大事だよね、って話を。していたんですけど。まさに、そんな話でしたね。

 

わたし、たいきのおとうさんの気持ちもとてもわかるし、夏月さんの気持ちもとてもわかるんだ。

社会とのつながりを楽に受容できるシステムは、マジョリティに流れることだというのは私も理解。それは、自分が誰も傷つけることのないように矯正するのがこの社会のシステムだから。大多数の人間に違和感を与えずに、気持ちよく生きていけるようにするには、学校に通い、オーソドックスな人生を過ごしていくのが1番楽なんよ。大きい流れから逸れた人間を珍しがって。横目で見ながら、生きていく人間たちに紛れるのが。本当に、誰も傷つきたくない傷つけられないように生きていくためには、その人間たちと同じ流れに乗るしかない。

 

そう、私もほっといてほしい。と思うことが多々あって。好きな服を着て、好きなように生きていこうとしている、誰にも干渉されずに己だけを見つめて生きていきたいだけなのに。

哲学を語り合いたい、という気持ちがわかるんです。私も畦道や八重子や夏月ほどではないんですけど、思想や感情がこの身にガッツリ入ってる人間だと思うんです。

性欲という点では、八重子と同様かと思う。

ホモサピエンスのメジャー性癖で人類発展に貢献できる真っ当な人間。

でも、この地球に対する諦念感情が強すぎて、「なんでこんな世界に赤ちゃんうめんの?セックスできんの?」と思うのですわね。セックスてすごく虚しい行為に思うのだよ。部屋の隅に私がいるの。へんなの。

結局、女性器に興奮をしていて、そこに紐ずく人間なんて、ほんとに見えてないんじゃないかって。異性という視点では男性みんなそういう風に見ている。わたしは。

だから、わたしは男性器と人間を切り離して考えたい。子供を産むだけなら、精液入った男性器だけほしい。

男性器と繋がった人間が嫌いやし、子宮を持った人間として子宮の存在感のデカさに辟易しているのでいらねえ気持ちもあるのに、無くなったら無くなったでありえない空虚感に取り憑かれると思うので、面倒でそんな自分も嫌。

明日死にたくない、そうですわよね、明日死にたくないの、延長がずっとずっと続いてみんな子供産むのだわ。

修の件と同様に、流れに流れて、これこそ脳死のまま、穏やかに死を迎えられるっていうね。

 

私も、そう言う気持ちがあって、民間企業に就職した。

わたしはずっと「ちゃんとした人間になること」が夢だった。

働いて、結婚して、子供産んで、育児して、家とか買っちゃって。それが社会の一員として、この社会システムの歯車の一つになれる最善の方法やし、そうなりたかった。

なりたかったというのは、なれない自信があったからだな。脳死なんて絶対無理、絶対に全部嫌になって、辞めた!とか言って、引きこもったり、結局何にもならない人間になる可能性が大いにあったから、半強制的にその環境に身を置いたんだけど、でも結局無理になってしまって辞めた。

キャリアウーマンの私も、育児をする私も、誰かの妻になる私も、6年働いて全くイメージできなかったし、なりたいとも思えなかった。し、普通を強要してくる社会もしんどかったし、そこに紛れる努力をしたとして得られるもんてなんもないやんな。と思ってしまったんだな。わたしが思う社会システムの歯車の一つって、なんやこれおもんな!、生きてるのに死んでるみたい!、脳死は私のポリシーに反する!というサイレンが鳴り響きまして。

 

でもさ、でもね、そんな社会を生きていて、他人の穏やかな人生を脅かす存在というのは、その大きな流れに乗れなかった、合流できなかった人たちなんだなとわたしも思うんです。

実際に脅かされて、心と体を少し病んでしまったけど、それは、その人というよりかは、社会がいけないと思っている。この大きな流れが生み出されてしまった故に、その流れに乗れなかった、弾き出されてしまった可哀想な人たち。

繋がりたい故に、見つけてほしいが故に、この苦しみや悩みを理解して、その流れに風穴を開ける人たち。繋がりのない人間が無敵の人というのはすごくわかるんです。

繋がりは楔。人は本能で、1人では生きていけないことをわかっているから。

 

わたしも未婚、独身、のアラサーじゃけ、親が死んだら、どうなるんだろうって思うんよ。

親が死んだら、この地球に対して打たれている楔がなくなったら、わたしはもう、大目的の欠落した私は、この地球にいる意味がわからなくなってしまう。

 

だから、大きな流れというものをなくして、いっそのこと海にしてしまうとか、でもたぶん、これまでの人類の歴史上、無理なんですよね。

子孫繁栄という大目的を本能的に携えた生き物が、排他的な思想を一切持たないなんてそんなこと無理なんですよね。だから、生殖器を排除するしかないわけですわ。

 

多様性を受け入れる側なのウケるよね。なんでジャッジすんねん、てわたしもすごく思うんよ。理解しようとする?無理だろ、私の思想を理解してどうする?大也の気持ちもめっちゃわかる。。。

 

でも、夏月と畦道の関係も、わかるし、羨ましい。

根底で、宗教を分かち合う、唯一無二の存在。

いなくならないから、というのは、明日を生きていきたいというお互いの希望の楔であり続けるという、愛とはまた違う、なんていうんだろうね、この関係は。私の中でカテゴライズしている、新人類という枠組みのなかにいる人々。

 

とりとめのないことをダラダラと書いてしまったけど、この本にいる全ての人は、何かしらが不安で、明日も生きていきたい、ただそれだけのことなのに、大きな流れが、性欲というものがあるがゆえに、生きていくことにただ苦しまざるをえない、そんな状況なんじゃよね。

そういう人がいるかもしれない、そんな可能性を知るだけでも、違うんじゃなかろうか。

 

正直、わたしがずっと思っていたことを、言語化してくれた小説なので、新たな発見とかないですけど、、、これを読んで、ひろきとか八重子のことをイライラするという人とは、わかりあえないなと感じます。

 

 

2023

あけましておめでとうございます。

 

2022について、こんな年だったという感情とアラサーの所感をぶちまけただけの生ゴミくささある下書きを作っていたんですが、いやいや、ぶちまけることではなく、こういう年だったからどういう一年にしたいのか書きたいし、それをメインにすることがええやろ、と思い2023というタイトルであらたに仕切り直しとする。

 

2022、6年働いた会社を辞め、3ヶ月のニートを楽しんだ後、事務職で転職し、ずっと心の奥底にあった私の進みたかった業界に少し近づき、真剣に将来のことを考える時間と距離感ができた。

同じように、私の周囲では、結婚や仕事や過去の傷に悩み、それぞれの選択をとるケースが増え、疎遠になる関係や断ち切られた、断ち切った関係もあった。

思ったより、己の人生をどう過ごすか、みんな真剣に考えてこなかったこと、この年になってやっと向き合うんだと思った。

他人の自己救済に巻き込まれて、不必要に傷を負った気もするし、それで人間がさらに嫌いになって、自分も信じられなくなったし、SNSも全部断ち切ったし、連絡先も整理した。

どの関係もいた断ち切れるかどうかわからないから、できるだけ会った瞬間に悪い思いをさせないように礼を尽くすよう努力した。

 

「手元にあるカードをどれも捨てたくない」といった新卒の女の子と出会ったが、若いなぁと感じたので、私も歳をとったと思いました…

たくさんのカードがあるひとは、捨てるものも多いでしょう。己の人生には守れる数は限られてる。それに気づいたし、同時にだからこそ執着や嫉妬などしょうもない感情の足跡も聞こえる。

 

後悔はするかもしれないけど、その時あるものを大事に感謝できるようなメンタルを持てるように、日々精進していきたい。これは昨年を経て一生かけてやっていかなければいけないと思ったこと。

 

2022の誕生日おめでとうの連絡をくれた人たちは、結婚式にきてほしいなと、思ったし、これで十分だと認めることができた。

 

足場固めではないけど、2022は割と激動だし、変化、整理を行った一年だったので、2023は穏やかに過ごして、精神的な成長に向けて、ゆっくりと考えて過ごせるような一年にしたい。

 

なので具体的な目標値としては、下記の4点とします…

 

本を10冊以上絶対に読む

勉強をする

展覧会と舞台に月一でいく

一週間に一度、お気持ち表明を行う